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Posted by yun
 
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茨木のり子
久しぶりに地元の友達とのメールをしながら
「金八先生」。

今回も現代の教育問題バシバシ盛り込んだな・・・ 

その中で紹介されていた詩が非常に心に残ったので
久しぶりにブログた。


なぜ生きているのか?
何のために生きていくのか?

それが分からなければ人は生きてゆけない

グサッときた。

10月は学祭に向けてゼミとサークル2つで
ナンジャコリャな忙しさなんですが、
大学三回生
自分の生き方についても考えなきゃいけない時期なんよ。

学生生活を振り返って得たものって何なんだろう・・
私の強みって何なんだろう・・・

私は「ギラリと光るダイヤのような日」を
どんなときに感じたのだろう。

以下、金八先生でも取り上げられた、
茨木のり子さんの詩です。
「ぎらりと光るダイヤのような日」


短い生涯

とてもとても短い生涯

六十年か七十年の

お百姓はどれほど田植えをするのだろう

コックはパイをどれ位焼くのだろう

教師は同じことをどれ位しゃべるのだろう

子供たちは地球の住人になるために

文法や算数や魚の生態なんかを

しこたまつめこまれる

それから品種の改良や

りふじんな権力との闘いや

不正な裁判の攻撃や

泣きたいような雑用や

ばかな戦争の後始末をして

研究や精進や結婚などがあって

小さな赤ん坊が生まれたりすると

考えたりもっと違った自分になりたい

欲望などはもはや贅沢品になってしまう

世界に別れを告げる日に

ひとは一生をふりかえって

じぶんが本当に生きた日が

あまりにすくなかったことに驚くだろう

指折り数えるほどしかない

その日々の中の一つには

恋人との最初の一瞥の

するどい閃光などもまじっているだろう

本当に生きた日は人によって

たしかに違う

ぎらりと光るダイヤのような日は

銃殺の朝であったり

アトリエの夜であったり

果樹園のまひるであったり

未明のスクラムであったりするのだ

(見えない配達夫より)

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「自分の感受性くらい」

ぱさぱさにかわいていく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
何もかもへたくそだったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ


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Posted by yun
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